4/23(金)豌豆(えんどう)
4/22(木)幸福な日
「一番、幸福な日というのは、素晴らしいことや、驚くようなこと、胸の沸き立つような出来事がおこる日ではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべり落ちるように、単純な、小さな喜びを次々にもってくる一日一日のことだと思うわ」
これはモンゴメリ作「赤毛のアン」シリーズ「アンの愛情」に出てくるアンのつぶやきです。翻訳者は、村岡花子さん。豊かな日本語を駆使して、カナダの豊かな生活を描いてくれています。
毎週言っていた本屋さんに行けなくなった今、懐かしい昔読んでいた本を再読中です。中には、なるほど・・と、今だから気付く言葉に出会うことがあります。
小さな喜びが続くそんな静かな日、本当に幸福な日とはそういうことなんだと改めて思います。
4/21(水)たんぽぽのちえ
この季節、たんぽぽを見つけると思い出すのが「たんぽぽのちえ」です。光村図書出版・小学校国語二年生にある説明文教材です。時を表す言葉にそって、時間の順序を抑えながら読み進めます。題名にある「ちえ」という言葉に着目し、内容をとらえます。
「春になると たんぽぽの 黄色いきれいな花が咲きます。」
「二、三日たつと、・・」「やがて、・・」「このころになると、・・」
「このようにたんぽぽは、いろいろな ちえをはたらかせています。そうして、あちらこちらに種をちらして、あたらしいなかまをふやしていくのです。」
このような文を読みながら、たんぽぽのちえについて、それぞれの経験に合わせて考えます。
たんぽぽのように、4月、新しい世界で今、子どもたちも色々な知恵を働かせて、生きているんだなと思っています。
ところで、この教材、記憶にある方、いらしゃいますか?
4/20(火)御幸辻、子安地蔵尊の藤
藤の花が咲き始めると、少し寂しくなります。
もうずいぶん前のことですが、和歌山県橋本市、御幸辻の近くにある「子安地蔵尊」というところに見事な藤を夫と見に行ったことがあります。何とも言えない透き通るようなピンクや優しい紫の房が、池の周りを覆うように咲きそろっていました。田んぼに囲まれたのどかな地域、そのころは駐車場に止まっている車もそれほど多くはなく、ゆったりと見ることができました。
素晴らしい藤の花にしばらくうっとり、たくさんの写真を撮ったことが忘れられない思い出です。教職員研修のパワーポイントの一枚目に「先日、藤の花を見てきました!」と自己紹介で使ったことも懐かしく思い出されます。
5月、連休の頃に咲いていた藤の花。今年はいろいろな花が、先を争うように花開いています。そんなに急いでどうするの、もっとゆっくり過ごしましょうよと声をかけたくなりました。
一人で見る藤、少し寂しさを感じます。
4/19(月)マスク着用!手洗い励行!
マスクの着用がすっかり普通になり、これまでにないくらい、丁寧に何度も手洗いをした1年でした。子どもたちも、当たり前のように、マスクを付け、部屋に戻れば手洗いをすることが身につきました。新しい出来事が生んだ良い習慣なのかもしれません。とはいえ、広がるばかりの感染にいまだ戸惑うばかりです。
令和3年度の幼稚園行事も、様々に工夫した見直しを余儀なくせざるを得ない状況が続いています。そんな中ではありますが、子どもたちにとっては園でのすべてが楽しいこと、新しいことです。ワクワク感を損なうことない保育をめざし頑張らねばと感じています。
今日は年中さんが朝から園庭遊具の使い方を学んでいました。「こうたいしてね。」「20数えたらかわるね。」
年少での経験を生かして、友だちとの関わり方を加えて学んでいまいた。これから深まる人との関わりは大切な学びです。真剣に話を聞く姿に成長を感じました。
「何もかもが新しい」そんな子どもたちの前向きな気持ちがあふれる幼稚園であること、誇らしく感じています。
4/16(金)🐘ぞうさんとくものす♪
4/15(木)ツツジの蜜標(みつひょう)
4/14(水)しようと思うことは・・
毎日の習慣の一つに、帰宅後の朝ドラのビデオチェックがあります。朝ドラではなく夕ドラですね。今は大阪が舞台の「おちょやん」を見ています。
先日終戦を迎えた主人公の千代が、自分を演劇に誘ったイプセン人形の家、ノラの言葉を繰り返し叫び続けるシーンがありました。
「私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているばかりです。」
「何よりも第一に私は人間です。ちょうどあなたと同じ人間です。少なくともこれかそうなろうとしているところです。」
「しようとおもうこと」をもっていること、とても大事で素晴らしいことだと思います。社会の流れの中でなんとなく時が過ぎてしまっていないか、生きていることを十分に楽しめているのか、自問しました。時代が違うとは言え、今この時を精一杯大切に過ごしたいと改めて感じながら15分間を過ごしました。
女性が一人の人間として世の中に存在できていなかった千代の時代、この言葉の重さは、今よりとても重いものがあったのだろうと思います。
今、生きているということを存分に楽しんでほしいものです。
4/13(火)不思議の泣き声!?
朝9時、登園が始まると同時に、聞こえ始める別れの泣き声。8日の始業式の日から玄関ホールで繰り広げられる別れの儀式です。
ところが、登園時間が終わり、玄関ホールから保護者の方々の姿が消える9時30分、突然静寂が訪れます。この世の終わりかと思わせるほど響き渡っていた声が、波が静かに引いていくように、聞こえなくなります。ピアノの音が、朝の始まりを知らせます。
昨年は6月に分散登園からスタートし、4月の始まりを初めて体験した私にとっては驚きの風景でした。
うちの人と分かれて一人で出発!
頼もしく成長した、年中・年長さん、さすがの姿です。
行ってきます!先生と一緒に保育室へ!
おはようございます!挨拶もしっかりできました!
家の人の姿が見えなくなると、幼い子どもたちもそれなりに切り替えることができるのでしょうか。それとも、これじゃ声は届かないとあきらめるのでしょうか。言葉にすることができない子どもの声を確かめてみたくなります。体全体を使って思いを伝えようとする子どもたちの姿、なんだか愛おしくなります。